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    2度目のイタリア嫌い

    2014-05-13 00:01 / Category: イタリア生活☆見聞録
    P5031512.jpg
    コモ湖畔のお気に入りのバールからの夕焼け。


    随分以前、イタリアと日本を文字通り「架け橋」な仕事としている方と
    お酒も回って本音トークをしていた時のこと、その人は言った。

    「ほんとに?ナビアちゃんまだイタリアのこと嫌いな時期がきてないの?凄いわ~。
    でもナビアちゃんはさ、まだイタリアに関わって10年経ってないでしょ?
    あと少ししたら来るよ、イタリアに関わりたくない、イタリアが大嫌いだって思う日が」

    その人は15年の関わりの中で3回目の「イタリア嫌い」の時期だった。
    今回が一番大きいという。

    でも、それ初めて聞いた話ではなくて、こちらに長く住んでいる人、
    場合によっては1年や2年という期間でも
    そういう症状が出て全くイタリアを、イタリア人を受け付けられなくなってしまうことがある。


    私は、一度イタリア人を信じられない時期があったけど、イタリアを大嫌いまでは思えなかった。
    でも、その時のことを数えるなら、今は人生で2度目のイタリア嫌いの時期に私は入ってしまっている。


    嫌いになる理由なんて普段から小さい理由はふんだんに落ちているし、
    大きな理由はいくつもある。

    上のおばさんの騒音とか、二重の請求書とか、アポイント通りに行かないこととか、
    言った言ってないで揉めることとか、そんなことは今まで普通にあったことだし
    ブログに書くとネタにはなるが、自分には何の新鮮味もない話で、日々そうやってまわっている。


    本当のところを言えば、いくつかの何かのタイミングが重なっただけの話で、
    ひとつひとつの出来事は普段からある日常の「嫌ごと」。何も特別なことが起きたわけではない。


    この「イタリア嫌い」期間というのは、ただ過ぎ去るのを待つしかない。

    イタリア人がするように、「さあね」とか首をかしげながら、何も対処せずに待つ。
    考えたり対処法を探すとますますイタリアアレルギーになってしまう。

    だって、結局周りはいつもと何も変わらず進んでいるのだから。


    目の前にある事実に対しての受け取り方、
    つまり自分の受け取り方になんらかのスイッチが入ってしまって、
    いつもと同じ光景が「嫌な」光景に変わってしまっているのだろう。
    と思っている。


    まぁ、こういう時もあるだろう。。。


    他の国に住んでいる人もこういうことがあるのだろうか、
    それともこの強い拒絶反応はイタリアに住む人特有の「イタリア病」なのだろうか。。



    PS:ちいさなことですがブログのカテゴリ登録で悩んでいます。
       幾度と話していますが、私のブログってイタリア情報カテゴリに居る割りに
       イタリアらしいことを書けてないですよね、
       そして「イタリア情報」らしいことは皆無ですし。。すみません。。
       私自身イタリアカテゴリに登録しておけば他のイタリア情報ブログを見やすいというためにこのジャンルを選んでいます。。
       でもそろそろ本当にジャンル変えなくては。。。と反省しています。

       ブログ更新してない間、連絡を下さった皆様。ありがとうございます。
       私は元気、元気。また細々と再会しますのでお暇を見つけてきてください♪
      

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    ラ・ペルラLa Perlaで大人の女デビュー!!

    2014-03-21 19:24 / Category: イタリア生活☆見聞録
    つ、ついに!!
    私もラペルラLa Perlaデビューする時が来ました!!

    p1.jpg
    La Perla@http://www.laperla.com/it/ より

    イタリアの高級下着ブランド、ラペルラ。
    私も手にする時が来ました。大人の女になったんだなぁ。。♪




    そう思ったのは、早ひとつき前。。。




    セールの残り物をアサリに行った2月の半ば。
    普段はTezinisもしくはIntissimiで下着を買うことが多いので、
       ※この2大ブランドについては、都会だろうと田舎だろうと町中に行けば必ずある。
         テツィニスTezinisはコットン系、スポーティー・カジュアル系、ジュニア系(使ってますけどネ(笑)
         インティッシミIntissimiはレース系、シニア系
         値段はIntissimiがちょっと高い。


    この日もさらにセールになっていないかなと覗いてみると、
    なかなか使えないような代物は再値下げになっていたものの、
    定番ちっくな物に関しては、全て黒字。
    もともとバーゲンなんてやっていなかった「私たち選抜よ?」といった静かなたたずまいで陳列されていた。


    狙っていたもの-と言っても30ユーロ前後のもの、さほど高いものではないのは頭では分かっているけれど
    バーゲン価格でないのなら、、、次の、後半年のセールまで今ので我慢するか。。(笑
    という気持ちになって諦めた。



    せっかく来たので(スイスのアウトレット、FOXTOWN ← 行き方クリック)他のお店も見ていたら、
    La Perlaが再値下げで全品アウトレット価格からの70%引き。

    思わず店内に入って気に入ったものを探していると、なんと思い描いていた予算内!!


    La perlaが?!~と思った瞬間
    下着を見る目もさっきまでの、
    買わなくちゃいけないもの(必要なもの) から、女子力を上げるもの(贅沢品)として自分の心が捕らえていて♪
    そしていくつかまとめ買い。
    あ~、買っただけで女子力上がったわ~(笑



    帰宅してアモーレに「今日La perla買ったのよ~!!」と言ったら、
    「ええ~~??そんなにお金持ってるならヨコセ(笑 」とか言われちゃうぐらい
    イタリアではLa Perlaは男性陣にも高いものという感覚が浸透しているヨウダ。
    ついでに、なんとかお金を没収は免れた。ほっ(笑



    買っただけで女子力が上がったLa Perla。
    1ヶ月以上眺めたので今度は身に付けて女子力を上げたいところだけれど、
    「もう少し今の下着がぼろぼろになった後で」
    などと考えてしまって、いまだに下着を下ろせないでいる。


    身に付ける日は。。。来るのだろうか。


    La Perlaデビューしたものの、まだ着けてないなんて。
    やっぱり敷居の高いは、La Perla様



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    読める字書いて?!

    2014-03-17 21:26 / Category: イタリア生活☆見聞録
    P3160710.jpg
    昨日のコモは半そででお散歩出来るぐらい気温が高く、
    朝にはあった霞も午後には晴れて、それは素敵な桜日和でした。
    そろそろ葉桜になっていて散り始めています。桜が綺麗に咲いているのは今週いっぱいぐらいかな。
    コモでお散歩予定があるならお早めに。


    +++

    ハガキがとどいた。イタリア人からのハガキだった。
    辛うじてうち宛だというのは分かるけれど、文字がさっぱり詠めない。汚すぎる。

    「何が彼に起こったのだろうか?」

    と一瞬、頭によぎったぐらい、きたない。マジきたない。

    腱鞘炎の一番ひどいときに書いたとか馬車に乗って書いたとか?

    それぐらいのレベル。

    私がもしダイイングメッセージを残すとしても、もうちょっと綺麗に書くだろう。
    だってその犯人を捕まえて欲しいから。



    それでもこういう壊滅的に汚い字を書く人というのは英語圏には結構いて、
    初めて英語留学した時、世のアルファベット圏の人という人はみんなひどい字を書くものなんだと学習した。

    ミミズのはった字、罫線なんてお構いなしの字、曲がった字、曲がったまま進んでいく字、丸文字、
    NとMとが絶対に見分けられない字、DとHとOとPとQが限りなく同じに見える字、Rがフックのように見える字、
    そういうことを総合すると、書いてもらったメモなんて全く読みきれない。

    それがアルファベット圏同士というのは発音をすると、自分の文化の中でも同じものがあるので
    なんとなく理解できるけれど、例えばダフネという女の子の名前があったとして、
    私なんて頭の中では「dafne」というアルファベットが出てくるけれど、正解は「daphne」
    というのをアルファベット圏の人はやっぱり知っているので、
    クソ汚い字で書かれていても正確に読める。

    つまり、アルファベットの人たちは他国語でもどんな字を書こうが、結局は見慣れたアルファベットであること、
    それから背景文化に助けられて、単語の意味、音、そしてその前後の文章の流れから読み取って察知できるので
    (単語は似ているものが多いので)結局は理解することが出来る。


    それと比べてこちらは書いていることを読んでから理解するので
    読めない字だと理解できない。理解できないから確認しないといけない。
    せっかく残しておいてくれたメモも、結局は本人に再度確認することになるので申し訳ない。

    正確に言うと申し訳ない気持ちと、お願いだから読める文字を書いて?と気持ちは3:7ぐらいかな。。(笑




    例のハガキ、仕事から帰ってきたアモーレに見せた。
    アモーレも「ええ??途中から読めない、あははは!」なんて言ってみせた。

    想像が出来ないぐらいだから。。。やっぱり相当汚い字だったと言っていいと思う。



    いつだったか、何かのお祝い事にアモーレからお花と手紙を貰ったことがある。
    多分喧嘩していたか、お互いに大変な時期だったか、、
    とにかくその時は、お花についていたメッセージカードが「おめでとう」や「ありがとう」と言った言葉だけでなく
    手紙だった。文章だった。

    それを読みながら涙があふれてきた。
    アモーレの気持ちがたくさん伝わったから。
    アモーレも素直に私が気持ちを受け取ったことに満足そうな笑顔だった。

    その笑顔のアモーレに、

    「お手紙ありがとう。気持ちがすごくうれしい。でも。。。。これ以上読めないよ。。。」

    私は泣きながらそう言った。アモーレは

    「読んでみて、イタリア語が難しいなら英語に訳すよ」

    とやさしい笑顔で言ってくれた。
    私さらに溢れてくる涙をぬぐいながら、




    「違うの、アモーレの字が汚くて読めないの~(涙」




    と言って、数年に一度のロマンチックな瞬間をぶち壊してしまったこともある。


    あれは。。。私のせいじゃない。
    アモーレの字が汚いせいだ。


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    3年目の書道やっています

    2014-03-13 22:05 / Category: イタリア生活☆見聞録
    以前、話したことがあった書道教室(→クリック)。
    3月で3年目に入りました。

    shodo201403.jpg

    写真のとおり、みなさん、本当に字が上手。
    日本語に触れたことがある人も居ますが、ほとんどが日本語を知らない人たちです。

    それでも字の意味を理解して、力強く、そして個性を出して字を書いています。
    このクラスは皆さん熱心で、週末に自習してきたり、
    書道に関する何かを見聞きしたときはクラスに持ってきて話をしてくれる人たちです。


    メンバーは3年の間に多少変化もありました。
    抜けてしまった人、それから3年継続になる人も居ます。
    もちろん新しい人も居ます。

    書道クラスにとって新しい参加者は大歓迎です。
    書道は誰と足並みをそろえなければいけないものでもないので、
    難しい字を書いてる人も居れば、「三」や「川」からはじめる人が居て、
    その人たちの字を見ることでセンパイたちがアドバイスを出したり、
    そのセンパイたちの字を見ることで、新しい人も早くもっと書けるようになりたくなったり。
    とてもいい意味で刺激しあっています。

    私自身も、日本人なら当たり前に感じている、文字などの感覚を思ってもいない角度からの質問されて、
    言葉として説明しているうちに再認識したり、気がついたことなんてたくさんあって刺激され続けています。
    面白いです。


    それから、書道はアートだな~と思うことがよくあります。

    P3120417.jpg 
    練習は新聞紙でしています。その広告と文字のコラボがたまに面白く作品になったりします。

    例えばこの「夢」
    夢で広がる可能性の波紋のよう。

    こういう偶然が出たらみんなで褒めあいます。


    それから、こんな作品も楽しいです。

    P3120470.jpg 
    生徒さんが、1つめの「森」を書いている時に
    「森がちょっと小さいね、木がたくさんあるのよ、生い茂って森になるのよ、イメージしてね」とアドバイスしたら
    どんどん「森」が大きくなって、4つめには立派な「森」に成長しました。
    この時もみんなで「森の意味分かってるね~!」なんて笑いました。



    授業は月4回のレッスンで、今月のお題を決めて月ごとに仕上げるという方法、日本と同じような感じです。
    違うのは、毎回1枚「今日いち」の作品を残してもらい、月末にセットにして渡します(返します)。
    これは月初と月末の差を見てもらうため、
    たとえ、苦労してしまっても、決して振り出しに戻ったわけではないと分かることで、
    モチベーションを上げる、そういう気持ちでやっています。


    それにしてもイタリア人は、アート的な仕上がりが上手だし、なんだか発想も自由です。
    それからどういう文字が好きだとか、結構好みもはっきりしています。
    カタカナよりひらがなを、シンメトリーよりアンシンメトリーを、そして楷書より行書や草書が好きなようです。日本的ですね。

    それから話好きなイタリア人の国民性が出ているのが、お互いの文字の感想を毎回言い合うこと。
    今では「今日いち」の作品を自発的に見せ合って、そして褒めあってます(笑
    私も書道やっていて楽しかったけれど、生徒さんみんな負けず劣らずすごく楽しそう(笑

    しばらく続けてきた上級者をもっと別のステージに引き上げて上げてあげたい気持ちと、
    このままゆっくりとやっていったほうがいいだろうかという気持ちで正直今迷っています。

    上級者レベルの方に一度、行書にチャレンジしてもらったことがあったのですが、ちょっとパニクってたかな。。(涙
    皆さんお仕事をされている方ばかりですから、レッスンで
    疲れて果てて負担になっては。。と思います。

    あと毎回来れない方も中には居るので、
    いくら書道は自分の速度で進む。。と分かっていても周りと明らかに差が出てくると、置き去り感を感じることになるでしょうし。


    やっぱり今のまま、ゆっくりゆっくりでもいいのかな。。。
    教える側としてはちょっと悩める3年目です。

    それでも教室にはとても満足しています。関わってくださってるみなさん、ありがとう。


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    業とお肉とカーニバル

    2014-03-06 05:46 / Category: イタリア生活☆見聞録
    P5104639.jpg

    「カーニバルが終わったらしばらくお肉は食べないっていうのやってみる?」

    お肉を食べながらアモーレが言った。

    カーニバルが開けてパスクワ(イースター)までの期間は宗教的にはお肉を食べないというキリスト教の慣わしは、
    もちろん風化が著しい昨今ではあるけれど、それでもお年寄りだけじゃなく、それをやる人も居る。

    そこまでではなくても、この期間金曜日だけは「とりあえず」お肉を避ける人は多い。
    パスクワ直前の金曜日に限っては、~まるで日本人が正月に御餅を食べるように~
    こちらではお肉は食べない。


    「パスクワまでお肉を食べないで見る?」


    そうアモーレが言ったのは宗教的な意味ではなく
    最近、家でお肉を食べる量が減ったことで、「ついでに」禁肉をやってみる?と
    心にはないけれど口をついて言葉が出ただけの話。

    食卓からお肉が減った理由はいつくかあって、
    他に食べたいものがたくさんあること、
    それから、肉はお決まりのお肉屋さんで買うようにする手間を設けることで必然的に回数が減ったこと。
    そしてわずかながら健康や自然環境を考えみたりもして。

    そうは言ってもしっかり食べているので
    以前がお肉の献立に頼りすぎていただけかもしれない。


    ただ、そんな断食話をしていたら、
    キリスト教ではカーニバルの肉断ちがあり、
    イスラム教ではラマダーンがあり、
    仏教には精進料理がある。

    いずれも「いつもの生活」から、何かのルールに従って断食および何か(肉等の殺生したもの)を断つことで、
    「信仰と見つめあう」時間を作るためのスイッチ、それが「食べ物断ち(断食)」だとしたら-。


    人というのは、本当は食べなくていいものを食べて、
    本来の必要な量以上の量を食べて過ごしているとしたら。

    そういった日常の生活をリセットするための宗教行事。
    宗教という助けを得て、本当は自分の中と向き合う時間をつくるための断食。

    それでも行事時期が過ぎればまた、十分過ぎる量を食べ肉も食べる。
    お腹いっぱい食べること、お肉の美味しさを私たちは知っている。
    人は同じことを繰り返す。


    そう思うと「業が深い」と言う言葉が頭の中に出てきて、
    「人という存在を現す言葉は悲しいかなこれが一番あっているね」なんてアモーレと話ながら

    人生、いろんなことを身につけることも、そして不必要なものを見極めて削ぐことも大事であり。
    そして、食べるという行為を削ることで自分と向き合える環境をつくることが出来るなんて簡単なことなのに。
    それでもそれが普段から出来ないというのは、人の欲というのはこんな小さなことから無限だな。

    目の前のお肉を残さず食べながら思った。

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