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    バルセロナが。。。スキ~!

    2013-08-28 20:32 / Category: ヨーロッパ ni 旅行
    日照時間も短くなってきているのを感じるこの頃、コモは朝夕、すっかり秋。
    薄い肌掛けを3日前に出したばかりだけれど、それでも明け方は冷えを感じる。


    もうすぐそこまで来ている秋になる前に今年のバカンスの話を♪
    行った先は、バルセロナー! 夏のバルセロナ!! イエーイ!

    P7094987.jpg 
    そして今回もサグラダファミリアはスルーで帰ってきました。
    イキナリ何のオチ?(笑

    わざわざあの場所に出向いて毎度スルーしてくる人もそう居ないかもしれませんが。

    いつも混んでるし。まだ造りかけだし。
    もし「未完のもの」が見たかったから完成予定の2026年までにまた行けばいいし。


    なんて、誰にも理解してもらえないだろう持論があったりします(笑


    今回のバルセロナは美しすぎる建築を見る時間は午前中だけと決めて出発。
    そうでないと、午後からは気温が高すぎて外出も大変になるので、
    あそこも、あそこも見たいのに体力が。。身体が動かない!というジレンマで
    楽しい旅行がストレスにならないようにそう決めた。

    午後は休憩したり、バーゲンを見たり、バーゲン見たり、バーゲン見たり(笑 街をそぞろ歩きして過ごすことに。
    P7095002.jpg


    P7095003.jpg 
    デパート、エルコンテイングレスEl Corte Inglesの屋上レストランより


    バルセロナっていい!!とってもいい!!
    街も大きく公共機関は整備されていて、バルセロナっ子はフレンドリー!
    人のマナーもイタリアより。。。うえ。。 
    どうするイタリア?!


    夏のバルセロナ、何が一番よかったって、街に流れるあの、ゆるさ!!

    確かにここは海の町、それでも海岸沿いでもないのに
    みんな水着の延長のようなファッションにビーサンがゆるい

    バルセロナ中心地に堂々と建つ、デパート・エルコンテイングレス。
    ミラノのリナシェンテ、NYのバーニーズニューヨーク、パリのギャラリーラファイエット同様の一等地に建つこのデパート。
    中に入ると驚くほど敷居が低い。何でもある。デパートというよりスーパー。
    商品のカオス加減とか、商品の陳列とか。なんとなく一昔前の田舎のスーパーに来たかのような懐かしさ。
    そして流れてくるくるエルコンテイングレスの袋の波。

    ElCorteIngles.jpg 
    みんな買う、買う。このデパートの立ち居地もお客さんもゆるい。このゆるさがいい。


    それから、(どうみてもバカンス中ではない)おばさまたちによるカフェ、アペリティボの会がいい。
    街中のカフェには午後から夜7~9時でもたくさんのおばさまたち(もちろんオジサンのグループなどもあり)。

    イタリアではこの時間にイタリアの年配マンマたちが集団でカフェしている姿はではまずない。
    イタリアはどちらかというと晩御飯が豪華なので(スペインはランチが豪華)、
    マンマたちは晩御飯の仕込みに入っているからなのか、
    男尊女卑の考え方が根強くあるイタリア社会ではマンマたちだけで出歩いてお酒を一杯飲む姿が好まれないからなのか
    (男性グループでの一杯は多くのBARで見られる)
    はたまたそのどちらも理由なのか、とにかくイタリアではない光景。
    おばさまたちの、年配になってもこうやって飲み物1杯で何時間も集う集まり。そのゆるさがいい。


    あと、


    スペインではイタリア語で話すと(スペイン語とイタリア語はかなり似ているので)だいたい通じる。
    相手もそれほど英語が得意でないこともしばしばなので
    ややこしい会話ほど、「英語よりスペイン語でお願いします」状態だったりする(笑
    そういうわけで外国なのに、自分が外国語を話さなくていいこのユルサ


    そうして言葉を交わしたバルセロナっ子たちは
    「俺、スペイン語とイタリア語で普通に喋ってた~」とみんな笑顔で対応してくれる。


    いや~、ゆるいのバンザイ!


    2013夏バルセロナ旅行
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    ペットボトルの使いまわしは危険?(2)

    2013-08-26 22:55 / Category: イタリア生活☆見聞録
    P7260583.jpg 
    綺麗な海で見つけた綺麗な色のゴミ@カラブリア

     前回「ペットボトルの使いまわしは危険?」と記事を読まれた後、

    「私はペットボトルを使いまわししていた!」と焦ってしまった方も居るかもしれないと思いこの記事を書いています。

    日本語でペットボトルのリユースについての注意点をネットで調べると上がってくるのは「衛生面」です。
    しかし、イタリア語では「体に害があるのでは(環境ホルモンの溶け出し)」ということに注意が向いているということ。

    そのこと、その違いをブログに書きたかったんです。


    もしかして、「ペットボトル2回以上使ってる→毒飲んでる→絶対病気になってるはず→もうだめ、死ぬー!!」
    って、そんな人居ないと思いますが(笑
    混乱させてしまったとしたら、本当にすみません。


    ただ、


    ペットボトル再利用時の健康についての話題は、
    イタリア語サイトだけではなく
    英語のサイトでも挙がってきます。
    それは同じ懸念が別の国でもあるということの現れですから、
    逆に日本ではどうしてそういう話にならないのかとも思えました。

    日本のように冬にペットボトルに入った暖かい飲み物が売られてるのをこちらでは見たことがありませんから
    もしかしたら日本とはペットボトルを作る技術工程が違うのかしら?

    ***

    イタリア語のサイトで話題になっている簡単な内容はこうです。
    ●ペットボトルの開発には初回利用の耐久性のみを考慮しているものなので、
     再使用では予測範囲外のことも考えられること。
    ●再使用時にはBPA物質(環境ホルモンの一種)が溶け出る可能性があるのではないか。
    ●BPAは2008年には既に人体に害があることが公表されていること。そして研究が進んでいること。
    ●アメリカでは既にBPAへの懸念からBPAを含む製品の再利用に注意を呼びかけられていること。
    ●同じプラスチックでも「BPAフリー」表示のあるプラスチックを使用することで問題回避できること
    ●イタリアではこの問題がそれほど問題視されていないことが問題であること。

    そして
    ●現在研究中とはいえこの問題のリスクを避けるなら、ペットボトルの再利用を考えたほうがいい
    といった感じです。

    PS:イタリアでよく言う、ペットボトルの裏に打たれている数字がペットボトルの再生回数、再使用可能回数だという説。あれは単なる噂です。再使用の問題とはまったく関係ありません。


    残念ながら見かけた各サイトを文字で訳せるほどの語学力ではありませんので

    下記にサイトへのリンクを張っておきます。
    この話題に関心が高いなら覗いてみてもいいかと思います。
    (グーグルトランスレーション等を使えば概要はなんとなく分かります、ホント便利な時代。)


    イタリア語サイト
    http://it.lifestyle.yahoo.com/blog/i-feel-good/le-bottiglie-di-plastica-possono-essere-riutilizzate-082349920.html
    http://www.ilfattoalimentare.it/bottiglie-plastica-monouso.html
    http://culture.you-ng.it/2012/08/03/2843-riutilizzare-bottiglie-di-plastica-puo-compromettere-la-salute/
    英語サイト
    http://environment.about.com/od/healthenvironment/a/plastic_bottles.htm



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    ペットボトルの使いまわしは危険?

    2013-08-23 19:40 / Category: イタリア生活☆見聞録
    P8110476.jpg

    実はここの水道水は飲めるらしいと何度も聞いたことがあるけれど、
    うちでは料理の水はブリタ、飲み水はペットボトルを買っている。

    そのペットボトル、中身は水で汚れてもいないのにたった1度の使用でゴミになるのが
    毎度毎度腑に落ちなくもやもやしていた。


    先日うちの近所、と言っても車で20分ほどに水の量り売り販売所が出来たと聞いた。
    これでもやもやが晴れる!とペットボトルを溜め込んで乗り込んだ。

    販売所は無人で、炭酸なしの水なら1L5セント(5円ほど)、炭酸ありなら1L10セント(10円ほど)。
    普通は安くても1L15セント以上なので、これは安い。
    そして何よりペットボトルを1回で捨てる罪悪感が減るから、これはいい。

    この日は1,5Lペットボトル * 12本 + 500ml *1本 =18.5Lお買い上げ、
    炭酸水も数本分買って合計1ユーロちょっと。


    ここまで往復するガソリン代を考えたらどうなんだって話も(笑


    水の味も美味しいし、これはいい。
    コモの人しか分からないけれど場所はSam Fermo。小さい町なので行けば迷わず分かりマス。


    ところでこのペットボトル3回~5回ぐらいは使いまわし出来るかなと思っていたけれど、
    この時期はお茶を入れたあと処分したり、ペットボトルにちょっと凹みが出来たと処分したりしていたら
    次の2回目の給水に使えるペットボトルは約半分に減ってしまって、
    3回転できるペットボトルはないかも。
    少し残念。


    そして


    少し安心。
    それはペットボトルの使いまわしは危険という一般論。


    危険の理由が
    日本ではキチンと洗えないこと、熱湯消毒が出来ないことからくる雑菌への心配が多いが
    こちらでは何度も使っていると環境ホルモンが溶け出して危険だという心配が多い。
    2、3回転が限度だと言っている記事もあった。

    聞きなれないことだからそれがどこまで本当かは分からないけれど、疑わしなら辞めておこうと思う。


    でも。。私の味噌汁茶碗、プラスチックだし。それに熱湯注いでるし。
    それって絶対よくないヨナ。


    それに比べてガラスや陶器は冷たい水でも熱湯でも安全。
    120年後にはペットボトルやプラスチックの器は姿を消しているかもしれない?
    120年後も美味しいお水が飲める世界であるだろうか。
    あってほしい。


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    蜂を箸で掴んだ!!私はミヤギ!

    2013-08-22 19:56 / Category: 食べる☆イタリアン
    P8010284.jpg 
    ある日のアモーレ家の収穫。ノンノの手編みの籠に入れて。


    この時期、お隣のシニョーラがたわわに実ったもぎ立て野菜をおすそ分けしてくれる。
    きゅうりだったり、ズッキーニだったりありがたくいただいている。

    こないだは完熟トマトをたくさん貰って、
    もらった2日後には「完熟すぎるトマト」になっていたので
    それらをまとめてトマトのスープ・ガスパッチョにして一気に食べた。

    私は夏料理のスープが好きだから、ガスパッチョも本当はもっと作りたいのだけれど
    アモーレは意外なことに「生のトマト料理」を避けたがる。


    意外というのはアモーレ実家ではこの収穫の時期
    毎晩トマトのブルスケッタ風サラダが出てくるし、それをいつも普通に食べてたから
    どちらかというと苦手だなんて思いもしなかった。
    そんなこと、数年間は気がつかなった。
    ある時、「実は」と告白されて、はじめは冗談かと思ったくらい。

    今冷蔵庫にあるトマトは何にして食べようかしら?




    今冷蔵庫にあるトマトを貰った時、ズッキーニの花も一緒にもらった。
    ズッキーニは花も食べる。
    黄色く大振りなズッキーニの花は中に詰め物をして揚げて食べるのが定番。
    貰ったその日はそのまま冷蔵庫に入れていた。
    次の日、この花を料理しようと紙袋を開けたら、何かが紙袋にしがみ付いている。


    そこには凍えている大きな蜂が!


    きゃ~蜂!!と遠ざかってみたものの、蜂は出て行く気配はない。
    (私はほとんどの虫が怖い人)
    恐るおそる覗いてみると、冷気から常温に開放された蜂は、
    おしりを小刻みに動かしながら冷気のコリを取ってる、羽ばたかんとしている。


    きゃ~怖い!!私が冷蔵庫に閉じ込めたと思って襲ってくるかもしれない!!


    危険を感じて蜂を取り除こうと袋をうちわで仰いでみたり、うちわのヘリで蜂を乗せようとしたのだけれど逆効果。
    準備運動が整っていなかった蜂は、紙袋の底、赤いトマトの中へ落ちていった。


    あ~、どうしよう。これで私が「殺そうとした」と勘違いして絶対私を襲ってくる。
    今やらなければ、私、刺される!!



    私は意を決した。
    トマトの底に落ちた蜂を菜箸でつまみ窓の外へ投げ捨てる作戦を思いついた。


    どうか、まだコリから覚めないで!!!


    そう願いながら蜂を掴んだ!!
    すごい!!これってミヤギよ(ベストキッドの)!!


    そう感動したのも一瞬だけ。
    掴んだ蜂の振動が伝わってくる。
    箸先から伝わる小刻みに動く生き物の感触。


    もう半泣きになりながら蜂を窓から捨てた。
    窓から追い出された蜂は、我に返ったかのように羽をフルに使って飛んでいった。


    あぁ。。。疲れた。
    もう。。。。いや。。。



    そうだった、ズッキーニの花には蜂が寄るから注意が必要だったんだわ。。。


    と、気を取り直してズッキーニの花を取り出し水をつけて洗っていると、


    あー、池ぽちゃになるとこやった。死ぬかと思ったわ、よっこらせ。



    と蜂が顔を出した。


    きゃ~~~!!!また蜂!!!!かんべん!!!



    この蜂も寒さでまだ本調子ではない。
    よし、今なら!とさっきの勇気を思い出して、今度はこのズッキーニの花ごと窓の外に持っていって置いた。
    そして窓を閉めた。

    窓の外では凍えた蜂がぽかぽか陽気を味わってズッキーニの花の上で軽く足踏みをしている。



    ほんとに嫌。もう嫌。泣く。



    そんなぼろぼろな状態で作業の続きをするためにまな板へ戻った。
    ほんとうにズッキーニの花には蜂が多い。ズッキーニの花は美味しいけれど危険だわ。
    と怖かったドキドキ感を沈めながら作業してたら


    おーい?みんなどこ-?


    とばかりに3匹目の蜂。


    もうだめ。私、瀕死。ヘルプミー。



    ***


    結局この後アモーレが帰宅するまで何も出来なかった。
    帰宅したアモーレは、疲れきってぼろっとなった私の顔をみて驚いた。

    「何があったの?!」



    それから、今度はアモーレが3匹目の蜂にミヤギをして外に追い出した。
    それから残りのズッキーニの花の花弁を開けて蜂が居ないかチェックしてくれた。


    私は安全を確認されたズッキーニの花に
    用意していた詰め物をして揚げ物にして2人で食べた。


    アモーレは「美味しい、美味しい」と何度も言ってくれたけれど、
    もう私は疲れと恐怖でぐったりしていて、味わう余裕がなかった。


    ただひとつ。
    疲れながらも「ミヤギをやった」ことはちょっとうれしかったかな。
    でも、もうやりたくないけど。

    それと、ズッキーニの花と蜂は蜜月な関係ということも身を持って体験した。


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    「2」が持つ不思議

    2013-08-20 21:51 / Category: イタリア語解体新書
    DSCF8772.jpg 
    Castelloからの眺め@カラブリアCalabria


     前回のブログで、私が言った[2秒待てないの?」

    いう言葉の「2秒」に「なぜ?」と思った人がもしかしたら居るかもしれない。



    「今すぐに、すぐにでも」という表現として英語で言う「one scond」や「two seconds」という表現はイタリア語にもある。
    どちらかというと、「1秒」と言うより「2秒」の「ドゥエセコンディDue second」のほうが多い。
    そして絶対に1秒や2秒であることなどありえない。

    それから例えば電話の取次ぎとか、ちょっと資料を探ってみるとかそいうい場合の、
    「今すぐ」ではなく「すぐに(今からとりかかります)」の場合には「2分待ってください」という表現を使う。
    2分でできるの?親切!と最初の頃は本気で信じてしまっていたが、
    今では「はいはい」と待つ準備をするようになった。


    さらに「少しかかるけれど取り掛かります」とか「ここから少し離れているけれどそう遠くない」と
    いった意味で使うのが「20分」という表現。
    「ちょっと調べてみて20分以内に電話します」とか
    「この道をまっすぐ行って右だよ。そう遠くないね、20分ぐらいじゃない?」といった感じ。
    この表現になってくるとかなり時間を指す場合はあいまいになってくる。

    用事を頼んだ場合20分ならず1時間以内に連絡があるかどうかはアナタの運、
    電話を受けた担当者の良心にかかってくる。
    そのままバックレられることだってあアリ。

    「ここから20分ほど」と語るイタリア人ほど信じられないものはない。
    倍の40分弱かかったことだってある。
    どこが20分?一体何キロで走って20分?オマエらみんなレーサーか?!



    そういうワケで「2」に刷り込まれた表現の裏にあるものを読み取らないと
    イタリア人が全部嘘つきに見えてくるという話。




    「2」を使う表現はいくつもあるが
    「たくさんの」というものを表現する時には「一袋分」と言うことも多い。

    「あのバイクを買うためにはたくさんの(一袋分un sacco)お金が必要」
    「今日はすごい(一袋分un sacco)人だった」等。


    アモーレが子供の頃、遠足に行った感想文をクラスのみんなで書いたらしい。
    アモーレはとっても楽しかったから「とっても(一袋分un sacco)楽しみました」と書いたら、

    担任の先生は一袋分un saccoの部分を赤ペンで二袋分due sacchiと修正してよこしたらしい。


    実は、「たくさん」を表現するのには一袋とは言っても二袋とは言わない。
    先生もそれを分かった上でわざと添削。
    それだけ遠足は楽しかったのだろう。

    その二袋分の先生のお茶目さは大人になったアモーレの思い出に今も残っている。




    ※「2」の言葉の続き!「散歩」の意味で「ドゥエパッシdue passi=2歩」と言ったりもします。


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    イタリアで渡り歩くために

    2013-08-18 22:09 / Category: イタリア生活☆見聞録
    P7014571.jpg 

    イタリアでは公共の場では「どうぞ。どうも」の思いやり文化はない。

    アタマが日本人である以上ついつい「どうぞ」をやってしまっても「どうも」の日は来ないし、
    もちろん、「どうも」を期待して「どうぞ」をやっているのではないのだけれど、
    イタリアで「どうぞ」をやっていると「どうも」が大好物な人にいいように使われる。
    「どうも」を目当てに小さくても得をしようと寄ってくる分かりやすい人もちらほらいる。



    だから私は日本から、もしくは海外からイタリアの空港へ到着する時
    「日本人らしい」スイッチを切り、「イタリア人」スイッチを入れるようにしている。

    とにかく相手を信用しない
    手持ちの貴重品には気をつける
    何かあれば理論より感情で物を言う
    そして普段から「どうぞ。どうも」をしない

    これは公共の場のイタリアに居る時のスイッチ。
    もちろんイタリア人みんながそういう人なワケではないし、
    「イタリア人」らしい、屈託のないやさしい人もたくさん居るのだけれど。




    たとえば日本で、
    「今日駅前ですごくえげつないオバハン見た」とか、
    「あの店に居たオッサン、頭おかしいわ!」

    という、友達に話したくなる変人(=嫌な人)にあなたはどれぐらいの頻度で会うものか?


    その遭遇する回数がイタリアでは3倍~7倍ぐらいだと思っていい。

    もし日本で1週間に1回、「変人」に会う人とすれば
    イタリアでは2日1回もしくは1日1回そういう人に会ってしまうことになる。 オーバーではなく(涙



    先日のスーパーのレジで並んでいた時。

    この日はレジが塞がっていたから10分が過ぎてようやく自分の番になった。
    私が(セルフサービスの)レジを通してる間、あるシニョーラが列の人にお願いしている。

    「バスに乗らなきゃいけないのに、この列でしょ?
    私買うのはこれだけだから先に行っていいかしら?もうバスが来ちゃうから」

    そうして、このシニョーラはごぼう抜きし、一気に順番待ちのトップへ躍り出た。


    私がようやく全てのレジを通し終わり、最後の卵を袋に入れていると、このシニョーラは私に、

    「シニョーラ! 私バスに乗らないといけないから早くそのレジ開けてよ」

    と私に言った。


    イタリア語には丁寧語もあるし、「恐れ入りますが」というような枕詞だってもちろんある。
    が、彼女はそれを使わなかった。


    ここが日本なら「何?」と一瞬思っても「はい、どうぞ」と譲れたかもしれない。
    でも私の頭はとっさに、


    「私だって10分以上待ったし、これを入れる間も待てないなんて?あと2秒待てないの?」


    と私もタメ語で返してやった。


    確かに間違ったことは言っていない。
    悪いことだって言っていない。
    ただ「どうぞ。どうも」が一瞬でも頭をよぎらなかったことが
    自分でそうスイッチしているとはいえ、小さいことさえも譲れないのかと少し自己嫌悪。

    自分がイタリア人化している。

    さらにイタリア人化に嘆く自分、私の中で(もちろんそういう人じゃない人もたくさん居るのに、あまりにも自得人が多すぎて)
    「譲れない人、自得のためだけに行動する人 = イタリア人」
    という図式がもう出来上がってしまっていることだって、なにか悲しい。

    そして、あのせかし女のシニョーラ、彼女は東欧の言葉が自国語らしい。
    彼女の容姿と連れ合いがを見て分かった。
    もしかしたら彼女もイタリアでは「イタリア人」スイッチを入れているのかもしれない。
    ふとそう思った。


    だとしたら今日の私たちは
    イタリアで間抜けな目にあわない様に
    イタリア人スイッチを身につけて
    イタリア語で言い合う外国人。


    私たち外国人がイタリア人を真似して。
    。。。いいのか、イタリア?
    なんだか腑に落ちない滑稽加減。


    イタリアは暖かさも、愛情も、人間らしさも、そして狡さも抜け目のなさも。あからさまで奥深い。



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    人の噂も四十九日

    2013-08-14 18:53 / Category: 夫の実家はカラブリア
     
    DSCF8599.jpg 

    籠を編むのが好きだったノンノ。

    その籠を保管していたノンノの納屋にはいろんなものが詰まっている。
    いや、詰まりすぎている。

    ゴミか必要なものかわからないことになっている。

    それは言いすぎ!と思うなら、想像してみて欲しい。

    戦争を体験した世代の人は物を捨てないということを。
    人は歳をとるにつれて物が捨てれないということを。
    田舎というのはとにかく土地が広いのでなんでも取っておくことが出来るということを。
    そしてそれらを、「いつかは使えるもの」と思い込んで溜め込んでいるということを。
    DIYや修理といったことは田舎の人は難なくこなす、そのための用具が増えることはあれ、減ることはないことを。
    そしてたとえば壊れて不要になった機材も、「とりあえず」はとっておくということを。


    そういうワケでゴミと必需品の区別は本人にしかつかない、
    いや、本人はすべてが必要だと思っていたからすべては必需品なのだろう。
    しかし、ほかの目を通すと悲しいけれどその9、88割りがゴミ。
    それは彼の持ち物だけに言えることじゃないだろうけれど。


    帰省中、叔父とアモーレは「居る間にお手伝い」のつもりでノンノの使っていたものを整理しはじめた。
    ノンナやパパは「もう少し待ってからでも遅くない」と反対したが、
    力仕事は1人でも男手が多いうちにやったほうがいいと叔父が言ったから。


    そう言って納屋に入った叔父とアモーレ、そしてパパは数時間かけてかなりのモノを処分したらしい。
    出てきたら3人とも埃と疲れでどんよりした顔になっていた。
    処分された納屋を覗いてみると、


    今朝と変わってませんけど?!


    という状態だった。ま、確かに半畳ほど広くなったような。。。(笑



    その後は家の中も少し片付けに入って、処分していた。
    たとえばマットは日本と同じように、ノンノがここで亡くなったワケではないにせよ処分することに。
    たとえばたくさんの帽子。誰も要らないだろうとよく被っていた数個だけ残して処分することに。
    たとえば杖。杖を作ったり買ったりするのが好きだったノンノ、これも愛着だった品を残して焼却することに。


    さすがに家の中を整理し始めてノンナの怒りは大きくなっていた。
    まだノンノが旅立って10日たった頃なのだから当然かもしれない。

    マンマはわりと片付けることに賛成だったが、ノンナが嫌がるからと叔父とアモーレを止めることにした。


    夕飯時、私はふと言った。
    「カトリックでは死者がこちらとあちらをさまよう期間はないの?
    仏教では亡くなって49日後にちゃんと天国に旅立てるの。
    それまではまだちゃんと旅立ててないの。

    だからそれまでの間は家族は喪に服す感じがあるかな、
    身辺整理はやってもこうやって大掃除は49日後が多いはず」



    と、別に誰を責めるわけでもなく、単なる疑問として聞いてみた。


    「葬儀の30日後に教会でミサをやってもらうけれどそういうのは特にないと思うわ」


    とマンマが答えたので、
    それから仏教での初七日から49日までの間、故人が審判を受けたり戻ってきたりするという話をした。


    なんとなく、いつもの話よりみんなが聞き入ってるように思えた。


    翌日。


    続きは明日と言っていた納屋の掃除は行われないことになった。
    それからその他の細かな整理も昨日までと比べてペースが格段に落ちた。


    なぜ?


    と聞いてみると、四十九日が過ぎるまでと言うアモーレ家。
    えっ?カトリックなのに?(笑



    仏教がそう言うなら、そういう可能性もゼロではないから信じるわとアモーレ家。
    ほんとに?カトリックの教えはドウシタ?(笑



    それからの日々、ノンノの話をしていていて冗談が過ぎると
    「まだ39日が過ぎてないから、きっとノンノ聞いてるわよ(笑」 ってつっこみを入れるマンマ、
    「39日じゃなくて、四十九日デス」とすばやく突っ込む私。


    それから頻繁にアモーレ家では「四十九日」という言葉が飛び交っていた。
    新しい文化への興味からか、
    それともきっと誰もが「もうちょっとこのままにして置きたい」と思いながら大掃除して
    どんどん捨ててしまったことへの後悔か。

    今、カトリックバンザイの土地で「四十九日」流行っています(笑



    作りかけの籠が納屋のテーブルの上に2つ並べて置かれている。
    少なくとも四十九日が明けるまでは誰も手をつけないだろう。
    そして四十九日が終わるまでノンノの話をしては、「四十九日過ぎてないわよ」と冗談を言って笑うのだろう。

    人の噂も七十五日。

    ノンノの話をするときはいつだって笑い話。
    四十九日を過ぎても、七十五日を過ぎてもその十倍の750日を過ぎたとしても。
    いつだって。



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    不謹慎でしょうが?

    2013-08-09 22:46 / Category: 夫の実家はカラブリア
    P8020337.jpg 
    トマトとクロネコ。@実家の畑にて



    マンマの従兄弟(つまりノンノの兄弟の子供)から私宛にお悔やみの電話をもらった時のこと。

    彼女はもちろんマンマにもお悔やみを言っていたのだけれど
    私がどうしていいか分からないで困っていないかと心配して電話をくれた。


    彼女のお父さん、つまりノンノの兄弟は6年間前のノンノの命日に亡くなった。
    だから今日は私のお父さんの命日でもあるのよ、同じ日にあなたのノンノも旅立つなんてね。
    と彼女は言った。


    人生って不思議よね。人が亡くなった悲しみは時間しか解決できないわ。
    しょうがないわね。私は今年で6年目でしょ?
    傷はだいぶいえたわよ。
    あなたのノンノもずいぶん長生きしたんだし、家族にも看取られて、
    ずっとあなたの家族に看病されて。いい人生だったわよ。
    今頃あの世で兄弟で会って話しているでしょうね(笑

    私たち生きているものは生きていかなきゃいけないのよ、ナビア。
    あなたのマンマもそれをよく分かってるわ。
    あなたも不安かもしれないけれど平常心でいいの。それでいいの。


    この人はいつも話が長いと感じるが、この日の電話ではそれも心地よかった。
    お葬儀に出れなかったことを少し悔やんでいたので、こうして話をしてくれると気分が落ち着いた。



    それから彼女は、
    人の人生って既に書き込まれている(決まっている)ものだから。
    とも言った。

    「決められている」とか「運命」とは言わず、
    「書き込まれている」と表現したことを奇妙に思ったし、その言葉に惹きつけられた。



    それから彼女は

    「あなたたち今子供ほしいってがんばってるでしょ。不謹慎かもしれないけれど
     家族に不幸があると新しい命が家族に宿るって昔っから言うもの。
     これはきっとあなたたちに子供が来るわ。きっとノンノのような元気な子が来るわよ」
     

    という話を結構長い間してくれた。
    私も不謹慎ながら、日本でもそうやって言うのよ。ノンノの魂が戻ってきてくれたらうれしい。


    なんて話をして、電話を切った。



    帰省してマンマたちと話をしていると

    「あなたたちもう聞いたでしょ。
     タニア(私たちがゴットファーザーになったレイちゃんのママ、アモーレの従兄弟)が妊娠したんだってね~!」


    「だってね~!」って聞いてない。。。


    どうりで最近タニアからスカイプしようとかいつ会えるとか何度も聞いてきてたわけだったんだ。
    マンマはばらしてしまった自分の失態にがっかりしていた。



    私は、ノンノ。。。うちじゃなかなったのね。。。ってがっかり、いや正直ショック。


    身内の妊娠を喜ぶよりもいい加減、自分の妊娠を喜びたい。
    親戚とあんな話をしたものだから期待が高まってしまって。そして落とされた感じ(涙
    別に魂の奪い合いしてるわけじゃないんだけど。



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    お墓参りとお墓でのアクシデント

    2013-08-09 00:30 / Category: 夫の実家はカラブリア
    P7230181.jpg

    こちらでのお墓参りに初めて行った。
    ここはノンノたちの出身の町でアモーレの町からも車で20分ほどの、
    今でも時間が止まったような、そんな静かな町。
    そのすこしばかりの郊外にお墓がある。

    このお墓ではこういうマンション式のお墓が8割ほど、
    あとの2割が地面に穴を掘る、昔ながらのお墓だった。

    マンマやアモーレはこのマンション式が味気なく嫌いだと言うが
    ノンノたちはこのマンション式なお墓を購入していた。

    この4階式のお墓、写真で伝わるかしら、高さは結構高い。
    2段目が目線ぐらい、3段目ではぎりぎり手が届くぐらい。

    小さいスペースのように見えるけれど、意外スペースはあって
    例えは悪いがカプセルホテルのような構造になっている。

    棺ごと縦に入れてセメントでふたをして、その後を名前や写真をつけた御影石で表面を覆ってお墓は完成する。

    P7230185.jpg 
    先ほどのが個人のお墓なのに対してこれは家族のお墓。
    これは家か?!
    扉があって、中には小さなマリア様が居て、
    その両脇に棺が4階、5階に収められるよう、つまり8~10人が入れるようになっている。

    でもね?
    こういう見かけの家って本当になくも無いので(写真の奥にうつってるのも戸建てみたいでしょ?)
    あの世もこの世も似すぎて家を間違えそう。。(笑


    P7230178.jpg 
    ノンノたちは個人のお墓を買い、ノンノが3段目(緑星)、ノンナが2段目(黄星)と決めていた。

    購入済みのものに関しては黄色矢印のようなレンガで雑に蓋がされる。
    お葬儀の日、お墓担当の人がそこ穴を開けてレンガを取り除き棺を納める。


    葬儀当日、棺と共にお墓に到着すると、2段目-つまりノンナの部屋のレンガが壊されている最中だったらしい。
    (写真の2段目にバラがあるのは3段目の花を掃除するために一時避難させいてるため。)

    慌てる家族。
    俺は聞いていないと言うお墓担当。
    俺も知らないと言う葬儀屋。

    協議の末、3段目を空けることになったらしい。
    協議って。。。
    俺は知らないって。。。

    結局イタリアでは旅立ってもなお、イタリア。。。
    そんなことがあったら日本では葬儀屋さんがお詫びしまくりだろうに。

    結局誰も謝ってくれなかったと後日マンマたちは改めて話してくれた。


    「これがノンノのお墓でよかったね。でなければ(彼が元気ならば)みんな杖で殴られてたわ」


    って最後に締めくくったマンマ(笑

     

    棺が到着しているにもかかわらず、
    3段目のレンガを取り除くため、結局参列者は待たなくてはいけなくなった。


    1人1人とノンノの棺から離れる参列者。



    「待ってるうちに」と、
    みんなわらわらと散らばって行っては、親戚家族のお墓めぐりをしたり、
    どうせならと友達のお墓めぐりしたりしていたらしい。
    参列者も自由だな。。(笑


    ノンノのお墓の周りにはたくさんの友達や親戚が居て、
    この一面はみんな知りあい?と思うほど。
    ノンノがこのお墓を選んだのがよくわかる。
    話好き、家族大切、友達大切なイタリア人らしいみんなが近いお墓。

    たぶん、今日は誰の孫が参りに来たとか、
    今日は私きれいなお花をもらったから見に来てとか。
    そういう会話をもう楽しんでるんだろうな。

    あ、この日、死してもなおイタリア人のことだから、
    きっとこのお墓に居るの何人かは「今日はチネーゼが居るよ?」とか言ってるだろうな。
    私はジャポネーゼなんですがね(涙


    まだ蓋をしたセメントも乾ききれていないノンノのお墓。
    今週御影石が届いたらしい。
    御影石を掲げてもノンノが旅立った実感がないのはもちろん私だけではない。

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    ノンノの死

    2013-08-06 23:33 / Category: 夫の実家はカラブリア
    DSCF5698.jpg 

    ずいぶん以前から旅立つ準備をしていたノンノ(お祖父さん)は、7月、本当に旅立った。

    あと1週間待ってくれれば、いや私たちのカラブリア入りがあと1週早ければ会うことが出来たのに。

    ノンノはいつもムードメーカーであって、とても強い人だった。
    私たちが最後に会った春には弱ってはいたが、それでも強さは健在で
    以前に比べれば力弱いがそれでも笑っていた。

    そんな、ノンノの最期の数ヶ月はその笑顔が出ないほど忍耐と辛抱の連続だった。


    ノンノが亡くなった翌日には葬儀が行われた。
    ワケあってアモーレのみ葬儀参加した。
    葬儀は、亡くなった翌日だったにもかかわらずたくさんの人が駆けつけてくれたらしい。


    その1週間後、今度は私もカラブリア入りし真新しいノンノのお墓に参った。
    それでもなんだか「あのノンノが?」と信じられない感じでいっぱいだった。
    今もまだ信じきれていない。


    帰省した初日、
    ノンノの旅立ちを「しょうがないわ、人生だもの」と電話口では言うものの、ずっと看病してきたマンマの気落ち
    それからずっと病気を患っているノンナ(お祖母さん)の落ち込み具合を心配していた。

    ところが

    アモーレ家はノンノが亡くなった悲しみ以上にノンノはもう苦しまなくて済むという
    安堵の気持ちを持っているように、まるでノンノがまだ居るかのような穏やかなものだった。
    普通にノンノの話をしたり、ノンノをからかった発言をしてみたり。

    私たちの滞在途中から叔父も帰省してきた。彼は葬儀に参加出来なかったが
    彼もまたマンマやパパやノンナのように前向きに死を受け入れているようだった。
    別の叔父もしかり。


    ノンノも一生懸命生きたけれど、マンマたち家族は一生懸命に自分たちで看護し、
    遠く離れていても危篤となればすぐにノンノに会いに来る生活をこなしてきた叔父たち。
    みんなノンノが生きているうちに精一杯やれることをやってきたからなのか。
    思った以上にノンノが残した家族は悲しみに漬かる事なく前向きでやっていますよ、ノンノ。


    みんな、ノンノはいつものように愛車のトゥクトゥクに乗って畑めぐりしているような気持ちです。
    ふらっと、今日の収穫をぶら下げて帰ってきそうな、そんな気持ちでいっぱいです。


    ノンノ、安らかにお眠りください。
    いつも元気と笑いをありがとう。



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