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    尊厳死と安楽死

    2009-02-04 20:18 / Category: イタリア生活☆見聞録
    CNN Newsより-----
    タリアで17年近く昏睡状態にある女性が裁判で争った末に安楽死を認められ、栄養補給チューブを外してもらうために3日、北部ウディネの民間医院に転院した。この女性、エルアナ・エングラロさんは20歳だった1992年、自動車事故で脳に回復不可能な損傷を負って昏睡状態に陥り、父のベッピーノさんが娘の尊厳死を求めて裁判を起こしていた。ベッピーノさんによると、エルアナさんは交通事故に遭う以前、意識不明になった友人を見舞い、もし自分に同じことが起きたらこんな状態で生かされたくないと話していたという。イタリアでは法律で安楽死が禁じられているが、家族が治療を拒否する権利は認められている。ベッピーノさんはこれを根拠に、治療を拒否することによる安楽死は認められるべきだと主張していた。長年にわたる争いの末にイタリアの最高裁は昨年11月、下級審の判断を支持し、治療打ち切りを認める判決を言い渡した。しかし実際に栄養補給チューブを外してくれる病院探しは難航。当初複数の病院が受け入れる姿勢を示したが、厚生省の圧力を受けて引き下がった。最終的に、ウディネにある民間医院が受け入れることになり、エルアナさんは2日夜、これまで入院していたミラノ北部の病院を出て、救急車でウディネの医院に搬送された。カトリック信者が多いイタリアではエルアナさんの安楽死をめぐって大きな論争が起きており、抗議グループがエルアナさんの乗った救急車を妨害しようとする騒ぎもあった。ウディネの医院は判決で定められた条件に従って約3日以内に栄養補給チューブを外し、エルアナさんは約20日で死に至る見通しだという。
    ----

    このニュース、イタリアでは度々報道されていて、
    ここ数日は「いよいよ安楽死させてくれる病院に移送」という観点で報道されていました。

    カトリックの国イタリアでは「安楽死」を認めない人も多く、ローマ法王も反対の立場をとっています。
    ただ、「安楽死」を認める人も多いのも事実です。

    安楽死が娘にとって最善と決めた両親がこれから生きていくまわりには
    必ずしも彼らの意見に肯定的な人だけが周りにいるわけではないですし、
    自分のとった判断に疑いが出てきてしまうときもあるかもしれません。
    娘に対して罪悪感が涌くる夜もあるかもしれません。

    ただ私が娘なら、昏睡時様態の自分を見守りながら歳をとっていく両親を
    17年も見てきたのだから、両親の決断には感謝こそあれ恨みはないといいきれます。

    自分は「安楽死」を希望するとして、
    だけど、親や夫がその立場だったら?ましてや子供だったら?
    安楽死を願えるか?それとも願いと希望をどれだけの期間託し続けて待てるか、不安です。
    半年待ち、数年待ち、10年待ち。
    こちらが待っている時間も
    彼らはどうして欲しかったのかを考えるとその時は自分が壊れてしまいそうです。

    そんな思いをご家族は17年間も過ごしてきた。
    私はそんな思いを長い期間耐えられるだろうか。
    講義行動している人たちは、いざ自分の身になっても同じ選択をしないのだろうか。


    今まで「尊厳死」「安楽死」について事件がある度に考えることはありましたが、
    今でも「どちらかというと安楽死」寄りな意見であって、絶対こっち!と言いきれる
    信念はありません。
    安楽死に対してメリット( 耐え切れない精神・肉体的苦痛からの開放、患者家族の経済負担の軽減、死ぬ権利の尊重 等 )は理解できるのですが、
    デメリット(生死に自己決定権があるので(生きていても迷惑がかかると思い込む等)、死の選択の増徴、
    安楽死法の拡大につながる等)にも頷けるからです。


    死に方を考えると人の生き方について考えさせられます。

    ヨーロッパではベルギー、スイス、オランダで安楽死、尊厳死が認められています。

    人が生きていく為の法律でなく、死ぬための法律があるというのは
    あの世はこの世では操れないのに?!なんとも不思議です。
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    コメント:
    usago2006  1. 難しい選択です

    私もこの話は何度となくニュースや新聞などで見てました。

    Naviaさんも仰ってるように、これだけ長い間昏睡状態の娘を見ながら、安楽死を希望することに対して、娘の望みとはいえ罪悪感は、常にあるんだと思います。

    自分がこの両親と同じ立場だったとしたら、安楽死にするのかどうか、実際にそうなって見なければわかりません。いえ、きっと実際にそうなってみても、どっちなんて選べる問題ではないんでしょうね。

    今自分が親になって、一ついえるのは、自分の子供が自分より早く亡くなると言うのは、、自分が死ぬ事よりも辛いと言う事です。
    2009/02/04 22:14 * URL [ 編集] | TOP↑

    hone  2. ひとごとではなくて

    私は両親から
    「自分たちが意思を表明できないときは、君に頼むよ」と
    「安楽死を希望します」という書類を託されてます。
    しかししかし、それをどうするかは私の一存・・・

    両親はいたって元気なのに、私はすでに悩んでます。
    すでに悩んでることが罪悪感になる。
    信頼されてる、と思うけど重荷であることは間違いないですね。
    生と死は親子関係の喜怒哀楽の原点かな~と思います。

    2009/02/06 22:56 * URL [ 編集] | TOP↑

    Navia  3. コメントどうも☆尊厳死~

    usago2006 さん
    usago2006 さんがおっしゃるとおり、究極の選択は当事者になってみないと出来ないというのがやっぱり私も本音です。こうしてわが子の死を見届けなければいけないというのは本当に不幸だと私も思います。


    hone さん
    hone さんのご両親は本当に一歩先というか、かなり人類的に進歩してらっしゃいますね(笑 いつもいつも勉強させていただいてます。
    hone さんはそんな重大な書類を託されてるんですね。。でも
    それで悩むことは絶対罪悪感感じることではないと思います!だって、目の前にそんな重大なことを考えさせられる機会があったら、誰だって立ち止まったり、戸惑ったり、考えるはずです。
    そうして、自分たちの死について考える機会を元気なうちにくれるご両親は立派な方だと思います。
    2009/02/12 00:17 * URL [ 編集] | TOP↑

    mariani  4. シチリアより遊びにきました~。

    こんにちわ!シチリアよりREIです~。こちらにも遊びに参りました。
    さて、このニュース、本当にフォーカスされていましたね。とある番組では「私の娘は15年間昏睡状態の末、息を吹き返した!だからぺっピーノの立場には反対だ。」と言っていた人がいましたが、、、。事故にあった原因だって、損傷した脳の場所だって、すべてが違うのに、どうしてこんなことが言えたものか、、、と思ってみていました。
    同じ立場にあった人でも物事を客観的に見ることってすごく難しいのに、プラカードを持ってデモをしていた人って、、、、一体何の権利を持ってして「反対」の立場を主張できるのかしら?なんて一人で思ってみていました。
    この手の事って、キリスト教信者にこんな話をしてしまうと「あなた、一体何者?」と言われるので、イタリア人とはほとんど意見を交わしたことがありません。(ここはシチリア。まだ信仰が強いので、、、)ただ、私のパートナーは私と同意権。そういうイタリア人もいるのね~、、、なんて思ってみたり。
    いずれにせよ、とっても難しい問題。家族以外の人がとやかく言う問題でもないと思ってしまった次第です。(法律に関しては、また別もんだいなのでしょうけれど、、、)

    これからもよろしくお願いしますね★
    2009/02/13 18:51 * URL [ 編集] | TOP↑

    Navia  6. コメントどうも☆尊厳死と~

    REIさん
    はじめまして。コメントありがとうございます!
    その15年の昏睡状態だった家族の人は本当に奇跡のように幸せですね。それは人生同じ子を2度子供を産んだ気分になるくらい幸せなことではないでしょうか。でもペッピーのさんの場合と同条件であるわけがない。と私も考えます。
    REIさんがシチリアで意見が言えない気持ちも想像にやさしいです。(うちの実家はカラブリアなんです)
    今回の件で私たちは意思表示カード作ろうかなって考えてます。
    また遊びに行きます♪これからもよろしくお願いします!


    marianiさん
    同感です。
    生と死の問題はどの時代でも、どんな立場の人間でも考えていかなければいけないことだと思います。時代によって尊厳死、安楽死の価値観が違ってきていることもまた事実ですし、一概に反対も出来なことだと感じています。
    2009/02/13 21:07 * URL [ 編集] | TOP↑


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