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    人の噂も四十九日

    2013-08-14 18:53 / Category: 夫の実家はカラブリア
     
    DSCF8599.jpg 

    籠を編むのが好きだったノンノ。

    その籠を保管していたノンノの納屋にはいろんなものが詰まっている。
    いや、詰まりすぎている。

    ゴミか必要なものかわからないことになっている。

    それは言いすぎ!と思うなら、想像してみて欲しい。

    戦争を体験した世代の人は物を捨てないということを。
    人は歳をとるにつれて物が捨てれないということを。
    田舎というのはとにかく土地が広いのでなんでも取っておくことが出来るということを。
    そしてそれらを、「いつかは使えるもの」と思い込んで溜め込んでいるということを。
    DIYや修理といったことは田舎の人は難なくこなす、そのための用具が増えることはあれ、減ることはないことを。
    そしてたとえば壊れて不要になった機材も、「とりあえず」はとっておくということを。


    そういうワケでゴミと必需品の区別は本人にしかつかない、
    いや、本人はすべてが必要だと思っていたからすべては必需品なのだろう。
    しかし、ほかの目を通すと悲しいけれどその9、88割りがゴミ。
    それは彼の持ち物だけに言えることじゃないだろうけれど。


    帰省中、叔父とアモーレは「居る間にお手伝い」のつもりでノンノの使っていたものを整理しはじめた。
    ノンナやパパは「もう少し待ってからでも遅くない」と反対したが、
    力仕事は1人でも男手が多いうちにやったほうがいいと叔父が言ったから。


    そう言って納屋に入った叔父とアモーレ、そしてパパは数時間かけてかなりのモノを処分したらしい。
    出てきたら3人とも埃と疲れでどんよりした顔になっていた。
    処分された納屋を覗いてみると、


    今朝と変わってませんけど?!


    という状態だった。ま、確かに半畳ほど広くなったような。。。(笑



    その後は家の中も少し片付けに入って、処分していた。
    たとえばマットは日本と同じように、ノンノがここで亡くなったワケではないにせよ処分することに。
    たとえばたくさんの帽子。誰も要らないだろうとよく被っていた数個だけ残して処分することに。
    たとえば杖。杖を作ったり買ったりするのが好きだったノンノ、これも愛着だった品を残して焼却することに。


    さすがに家の中を整理し始めてノンナの怒りは大きくなっていた。
    まだノンノが旅立って10日たった頃なのだから当然かもしれない。

    マンマはわりと片付けることに賛成だったが、ノンナが嫌がるからと叔父とアモーレを止めることにした。


    夕飯時、私はふと言った。
    「カトリックでは死者がこちらとあちらをさまよう期間はないの?
    仏教では亡くなって49日後にちゃんと天国に旅立てるの。
    それまではまだちゃんと旅立ててないの。

    だからそれまでの間は家族は喪に服す感じがあるかな、
    身辺整理はやってもこうやって大掃除は49日後が多いはず」



    と、別に誰を責めるわけでもなく、単なる疑問として聞いてみた。


    「葬儀の30日後に教会でミサをやってもらうけれどそういうのは特にないと思うわ」


    とマンマが答えたので、
    それから仏教での初七日から49日までの間、故人が審判を受けたり戻ってきたりするという話をした。


    なんとなく、いつもの話よりみんなが聞き入ってるように思えた。


    翌日。


    続きは明日と言っていた納屋の掃除は行われないことになった。
    それからその他の細かな整理も昨日までと比べてペースが格段に落ちた。


    なぜ?


    と聞いてみると、四十九日が過ぎるまでと言うアモーレ家。
    えっ?カトリックなのに?(笑



    仏教がそう言うなら、そういう可能性もゼロではないから信じるわとアモーレ家。
    ほんとに?カトリックの教えはドウシタ?(笑



    それからの日々、ノンノの話をしていていて冗談が過ぎると
    「まだ39日が過ぎてないから、きっとノンノ聞いてるわよ(笑」 ってつっこみを入れるマンマ、
    「39日じゃなくて、四十九日デス」とすばやく突っ込む私。


    それから頻繁にアモーレ家では「四十九日」という言葉が飛び交っていた。
    新しい文化への興味からか、
    それともきっと誰もが「もうちょっとこのままにして置きたい」と思いながら大掃除して
    どんどん捨ててしまったことへの後悔か。

    今、カトリックバンザイの土地で「四十九日」流行っています(笑



    作りかけの籠が納屋のテーブルの上に2つ並べて置かれている。
    少なくとも四十九日が明けるまでは誰も手をつけないだろう。
    そして四十九日が終わるまでノンノの話をしては、「四十九日過ぎてないわよ」と冗談を言って笑うのだろう。

    人の噂も七十五日。

    ノンノの話をするときはいつだって笑い話。
    四十九日を過ぎても、七十五日を過ぎてもその十倍の750日を過ぎたとしても。
    いつだって。


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    コメント:
    kyotomodelforest 
    おじいちゃんはいつの時代も、どこの国でも素敵ですね。
    私もまだ40代ですが、素敵に年をとりたいものですね。
    本当に笑いながらも、泣ける話、素敵でした。ありがとうございます。
    2013/08/14 22:30 * URL [ 編集] | TOP↑

    yumi 
    そうやって故人の事を思いながら、話しながら笑いながら敬意を払いながらいることがきっと四十九日の醍醐味なのかもしれない、と思いました。
    きっとそういう故人に敬意を払うのは仏教でもカトリックでも同じですよね。そうやっていいところは吸収しながらオリジナルの信仰を作っていきたいです。
    モノについて・・・うちのスオチェロも同じ感じです・・・そのうえ芸術家入っているので、収集不可能なガレージがいくつも・・・涙・
    将来どうなるんでしょう・・・?笑。
    2013/08/14 23:38 * URL [ 編集] | TOP↑

    Mu 
    笑いながらも、なぜか泣けてきました。
    ノンノ、全然知らないのですが。

    49日。
    カソリックだろうが何だろうが、家族に一区切りつけるのにはいい頃合いなのかも知れませんね。
    以前、祖父が亡くなったとき、彼の坊さん(禅宗)に、これらの「極楽浄土」に尋ねたことがあります。
    坊主は、素直に「自分にもよくはわからないが、こういう行事ってのは、遺された人たちの心の整理整頓をするためのものなんだろうね」と。
    そして、「そういう日取りも、昔ながらの知恵なんだろうね。」と。

    葬式等に高い金を払わせておいて、ソレ!?
    とも思いましたが、非常に人間臭くて気に入りました。
    所変わっても、人の心に変わりはないですからね。
    2013/08/15 12:27 * URL [ 編集] | TOP↑

    植本多寿美 
    イイお話でした
    3年前に父を亡くしましたが
    いつもでも心の中には元気な笑顔で…

    お爺ちゃん幸せですね。
    2013/08/16 11:10 * URL [ 編集] | TOP↑

    Sette 
    この49日の話も進行形から、「こんなこともあったね」っていう思い出になって行くんだねぇ。時間ってすごいね。
    すっきりしてる人はほんと物がなくて、両極端なイメージがあるよ、お年寄りは。ウチは父がナビアちゃんのノンノタイプなんだけど私は一人っ子だし、母も年老いて来てるので片付けるのは私かよ、と今から若干鬱。まだ本人元気だけどね。
    2013/08/17 18:42 * URL [ 編集] | TOP↑

    コメントどうも☆四十九日 
    kyotomodelforestさん
    「ありがとう」って言ってもらえてこちらこそありがとうございます。私もノンノを見ていていい人生だったんだなってつくづく思いました。そういう風に歳をとれるようにがんばらなくてはと思いました。


    yumiさん
    本当、Yumiさんが言うとおりそういうことが四十九日がある意味なのかもしれませんね!なんだかはっとしました!ありがとう!
    ところで恐ろしいガレージをお持ちだということ。。 もう言ってもしかたないので見ないふりとか?(笑


    Muさん
    とても心の温かいお坊様とのお話ありがとうございます。確かに初七日から始まり四十九日、三回忌等いろんな区切りが仏教にはありますが、それらの意味なんて頭で考えたもの、家族を亡くした人の心を埋めたり整理するために用事を作って、それに意味を持たせたということも考えられますよね。
    Muさんのおっしゃるとおりです。ところかわれど人のこころは変わらず。
    亡くした人を思い悲しむ心を、宗教は助ける役目のもの。今回、夫の実家で四十九日を取り入れているオカシナ光景を見てそう思えてきたんです。


    植本多寿美さん
    植本多寿美さんのお父様こうしていつでも笑顔でいらっしゃるって本当に素敵なお父様だったんですね、そして素敵な人生だったんでしょうね。ノンノも植本多寿美さんのお父様も幸せ者だったんですよ!私もその時がくればそうありたいものです。


    Setteさん
    時間って何でも癒してくれる。ほんとすごいよね。捨てるお年寄りも居る!確かに少数派だが居る、私もそうなりたいんだけど(笑
    うちもSetteちゃんの実家と一緒のパターンだわ、おとうちゃん何でも物とっておきたいのよ。捨てた振りして隠し持つのよ(笑
    2013/08/18 23:35 * URL [ 編集] | TOP↑


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